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同じじゃなくていい。

突然ですが最近、藤原和博さんの「35歳の教科書」という本を読んでぴーん!ときたことがありました。

結論、人生に正解なんてないし、違う時代・環境で生きた人それぞれ価値観や生き方は

違って当たり前だということ。

急になんだなんだ、と思いますよね、私もふとわいてきたので、唐突ですみません。

その本には1950年後半から1960年代からの成長社会の日本をこのように書いています。

成長社会ではモノが人を確実に幸せにする時代があった

「みんな一緒」が、実は戦後日本の隠れたキーワードでした。

出る杭は打たれるから、目立たないようにしなければならない。

しかも当時の日本はその考え方で経済成長もしたし、アメリカを追い抜くような急成長まで遂げていたんです。

それに比べて現代は

「多様性の時代!」「個性を大切に!」

というような時代。

全く違う価値観が時代によってあり、いまは高齢化社会なので

生きている世代層も様々。私の両親も60代ですが元気に過ごしています。

その中で~べき、とか、社会の風潮が~とか固定概念が通用するわけがないし、

当時を必死に生きてきた世代の人々が、現代の価値観をすぐに受け入れることも難しいのも

当たり前なんだろうなあって。

そして世代以外でも生きてきた環境が少しでも違うなら、各々価値観や考え方なんて

違って当たり前なんですよね!

その中で社会の普通や大半の人がこうしていることがあたかも正解のように感じてしまうこと。

これこそ生きづらさの根底にあるのだろうな、と私はピーンと来たんです!(笑)

この考えだって人によってとらえ方は異なるので、私の1意見ですが、

この感覚から、私はより「自分を大切に、自分らしく生きる」を痛感しました。

同じじゃなくていいし、意見がぶつかってもいい。

世間の多数の生き方から外れてもいい。

そのように、気楽にというか、ラフに考えて生きていくのも大切だと思ったのです、、。

leon

さてさて、まずは過去の話から

さて、初めてのブログは

自分を大切にしていなかった頃のかわいそう〜な自分の話をします。

私ってほんと面白みのない、自分を顧みない人間でした。

社会が、周りの風潮に合わせることが

使命である!とでもいうような生き方、、、

なんていうかな、周りと同じじゃないといけない!と思ってしまう思考回路。

そのくせに一丁前に目立ちたかったり、認められたかったりするタイプ。

そう、自分というものが何もなかった。

だから社会の当たり前だったり、その時その時に生きている環境の大多数の意見や風潮に流されていた。

そして、「いい子」でいないといけないと思い込んでいた。

自分の感情に素直に向き合えなかった。

思い返せば小学生の頃から。

ブラスバンドをやりたかったのに、あれよあれよと中学お受験コースで訳も分からず勉強をしていた。

中学生でも、ただ同じグループの子達が買う雑誌を興味もなく買って、ドラマの話に必死についていくために毎日録画して夜な夜なみて。

高校生は、自分の容姿が大嫌いになり、

とにかく辛くて辛くてたまらなかった。

周りの細い子や可愛い子を見て

毎日神経をすり減らしていた。

自我が芽生えつつあったけど

その自我は自分を認める方向ではなく

自分に刃を突きつけるような方向に走ってしまっていた。

大学生ではより容姿への執着が加速し、

遠方の大学の通学に疲弊し、

専門科目の勉強にも手につかず、

自分に合わない飲食のバイトで何もできず、

(このあたりから自分に少しhspや発達障害の兆候がありました。ですが当然のこと、自分では気づかず。)

普通に、、、周りと同じように、、

そんな思考ばかりで、

とにかく自分が嫌いなのに、周りについていこうともがきながらも

何かわからず足がもつれながら傷だらけの心で生きていました。

全く自分の価値を認められず

周りに合わせようと必死で

人生が傀儡人形のような気持ち。

それも全部全部、

周りと一緒じゃないといけない!

みんなができることはできて当然!

明るくキラキラしてる自分になりたい!

と、自分の価値に目を向けず、

自分を敵だと思っていて、

他人や社会の大多数の行動が当たり前だと思い、レールに乗っかってるだけで、

感情をフル無視して生きてたから。

これ実は、社会人になった23くらいまでこんな調子でした。

空っぽな人間だった気がします。

そんな生き方をすると、やっぱりプツッと

どこかで切れるもの。

23歳、会社にいけなくなりました。

その時初めて自分のことと向き合ったんです。

今まで辛かったよね。

よく頑張ったよね。

今の自分でいいんだよ。

そう言えるようになり、本当の私探しがスタートしました。